ヘイリーはどこ?
ヘイリーはどこ?
小さな町の道には、窓を開けて音楽を大音量でかけながら、友達とドライブした青春時代の思い出をよみがえらせる何かがある。数マイル離れた町で毎年恒例のリンゴ祭りへ向かう途中、「ヘイリーへようこそ」という看板が目に入った。たちまち、懐かしさと好奇心が入り混じった感情が湧き上がった。実は、ヘイリーのことは何年も考えていなかった。旅行ガイドに載るような場所ではないからだ。しかし、その日、何かが私を街へと誘った。
静かな通りを曲がると、祭りの喧騒は薄れ始めた。やがて地元の高校のそばを通り過ぎた。錆びついた観覧席が金網越しに覗く光景は、金曜の夜のイルミネーションや高校のフットボールの試合の記憶を呼び起こした。歓声がこだまする声が聞こえてくるかのようで、秋の夕暮れのひんやりとした涼しさが肌に伝わってくる。
ヘイリーはそれほど有名ではないが、だからこそ魅力がある。町の中心には信号機が一つと、郵便局を兼ねた雑貨店がある。中に入ると、焼きたてのパンの香りと何十年も前の木の香りが混ざり合った。店員と話をしてみると、店員は意味ありげな笑みを浮かべながら、ヘイリーの本当の魅力は毎年恒例のカボチャの重量比較だと教えてくれた。特に盛大なイベントではないものの、毎年多くの熱心な参加者と好奇心旺盛な見物客が集まる。この話を聞いて、その純粋さに思わず微笑んでしまった。慌ただしい現代社会においても、今もなお根強く残る伝統の、魅力的な思い出だ。
次に町立図書館へ足を運んだ。質素なレンガ造りの建物は、まるでノーマン・ロックウェルの絵画に出てきそうな雰囲気だった。中に入ると、司書さん――おそらく1世紀近くも暮らしてきた女性――が頷いて迎えてくれた。私たちは町の変化、新しく引っ越してきた家族、そして今も残る古い家族について語り合った。その時、ヘイリーのような町には高層ビルや巨大なショッピングモールはないかもしれないが、それよりもはるかに貴重なものがあることに気づいた。それは、コミュニティ意識だ。
気がつけば、日は暮れかけ、午後遅くになっていた。太陽は沈みかけ、趣のある街路に黄金色の光を落としていた。ヘイリーを後にした時、予期せぬ愛着が湧いてきた。この街は、その簡素さにもかかわらず、逃避の場を提供してくれた。世界の小さな、さりげない片隅にも美しさがあることを、優しく思い出させてくれる場所だった。
車で帰る途中、ある温かい気持ちが消えなかった。「ヘイリーはどこ?」一見単純な質問に見えるかもしれないが、それは地図上の点以上の意味を持つ。立ち止まり、探検し、思いもよらぬ場所で花開く魔法を目撃するための招待状なのだ。もしかしたら、いつか田舎道から外れた時に、「ヘイリーへようこそ」の看板があなたを待っているかもしれない。